IPNは、テニス大会を開きたくて始めたわけではない。
単純で、でも直視するのがつらいことに気づいたから始めた。
アフリカの大部分では、人生を鍛える仕組みとしてのテニスに触れる機会が、これまでなかった。
娯楽やステータスとしてのテニスではない。努力、敗北、時間との向き合い方を、根底からつくり変える装置としてのテニスだ。
テニスは、ほかではほとんど得られないこれだけのものを、同時に、大勢の人に叩き込む。
- すべてを自分で引き受けること。コートに立ったら、隠れる場所はない。
- ものになるまでの、長い敗北。何かをつかむまで、何年も負け続ける。
- 屈辱の中での反復。人前で、何度も、何度も失敗する。
- 疲れ切った状態での判断。体が焼けるように苦しくても、正しく選ばなければならない。
- 感情を制御すること。それは必須条件だ。平静を失えば、たいてい試合にも負ける。
- 時間に追われる中での正確さ。ほんのわずかなずれも許されない。
- 賄賂が通じない実力主義。ボールは、あなたが何者かなんて気にしない。
アフリカにはすでに、渇望、その場で道を切り開く力、仲間への忠義、立ち直る強さがある。それは本物だ。僕はその中で育った。
足りないのは、大勢の人にこうした力を繰り返し鍛えさせる仕組みだ。
- 一人でも自分を律する力
- 長く先を見据えて集中する力
- 感情を抑える力
- 誰にも拍手されない、退屈な反復
テニスは、それを否応なく身につけさせる。僕もそうだった。
インターネットも使わせてもらえず、学校かマドラサへ車で送り迎えされるとき以外は、家から出ることも許されなかった子ども。頼れるのは想像力だけで、画面の中の登場人物を通して生きるしかない。その世界で育ち、その中では、自分には力があり、何も欠けていないと感じている。家族や友人には天才の一人と認められ、求められれば一番を取る。ところが、数学の授業で隣に座る子が、その世界の外へ出ていく。国際大会に出て、いろいろな街、人、空気に触れる。帰ってきた彼の話を聞くと、急に自分が小さくなるのではない。ほかにも世界があることに目が開き、自分もそこへ行きたくなる。
そんな冒険を追いかけていた少年時代、かわいい外国人の女の子たちに会いたくて、国立スポーツクラブへ向かった。まさか、その子たちの前で負けるとは思わなかった。全力を尽くしているのに、壊滅的な恥をかく。それを経験できるのは、人生のなんという恵みだろう。ほとんどの人がそれを経験しないのは、本当に惜しい。痛み、美しさ、激しさ。簡単には言葉にできない。テニスを軽く語ろうとすると、あの感覚を追体験してしまい、僕には耐えられない。だから、この手紙で、すべてに区切りをつけようとしている。
何年もたち、僕が20歳、彼が18歳のとき、ついに国内ジュニア1位の選手に勝った。いつも僕を負かしていた、あの同じ子だ。お前がこの人生で彼を超えることはない、と誰もが言っていた。始めるのが遅すぎた。5歳で競技としてラケットを握っていなかった時点で、お前の限界は決まっていた。そう言われた。あの閉じた世界でも、ほかの多くの場所でも、僕はよそ者だった。だが、現実の限界とされているものを、その向こうへ押し広げるのは、僕らのような人間だ。勝利そのものには、大した意味はなかった。そこまでの道のりが、すべてだった。苦しい末につかんだ勝利ではあったが、その頃の僕は、アメリカでもっと強い選手たちと毎日練習していた。今振り返ると、彼は今も友人なので気持ちを代弁することはできないけれど、彼も、自分自身への見方に同じようなひびが入る感覚を味わったのかもしれない。僕がAを選んだところで、彼はBを選んだ。彼はその1〜2年後、テニスを完全にやめた。
よそ者としてこの競技の中で育ち、ポイントの合間に自分を怒鳴りつけ、ラケットを投げ、叩き折りながら、僕は一つの容赦ない事実を学んだ。
すべて正しくやっても、負けることはある。それでも明日、またコートに立つ。
それを何千回も繰り返すと、報われて当然だという思いも、迷信も、言い訳も消えていく。現実と交渉するのではなく、現実に向き合うしかなくなる。
僕らが身を置く環境の多くは、その逆を教える。うまくいかなければ、原因を外に求める。あるいは、すぐ別の道へ逃れる。テニスでは、その心理のままでは続けられない。
人々がテニスを深く学ぶと、育つのは選手だけではない。物事を動かせる人間が育つ。
こういう人たちだ。
- 失敗が続いても、取り乱さない
- 小さな改善の効果が複利のように増え、大きな差になるとわかっている
- 重圧の中でも、感情を制御できる
- 何年でも、一人で努力と向き合える
- 働き続けるために、拍手を必要としない
そういう人たちが、技術開発、資本市場、外科手術、指揮を執る立場、会社の創業、国家の運営へと進んでいく。これは机上の話ではない。ヨーロッパ、日本、アメリカの一部で、どれほど多くのエリートの人脈が、表には出ずともテニススクールを通じてつながっているかを見ればわかる。
ここからが、多くの人が見落としているところだ。
形をまねる場所は多い。コート、ラケット、大会。けれど、その苦しみが持つ意味まで伝える場所は、ほとんどない。
IPNは、その意味を人に伝える仕組みをつくるために存在する。
大会の予定表に、また適当な大会を足すためにいるのではない。僕らは、人の行動を形づくる一つの「OS」を、産業規模で広げるためにいる。
アフリカには、すでに渇望と立ち直る強さがある。
テニスは、抑制、忍耐、正確さを教える。
抑制のない渇望は、燃え尽きる。
正確さのない粘り強さは、同じ場所を抜け出せない。
僕自身が、そうやって変わった。だから、見える。
アフリカだけの話でも、やる価値はある。けれど、僕の人生をたどると、日本との架け橋をつくることは避けて通れなかった。
正直に言う。日本は、一貫して僕を受け入れてくれた唯一の国だ。
日本に住むという話ではない。こういうことだ。
- 10代の終わりにニューヨークへ移ったとき、何年もの間、いちばん親しかった友人は日本人だった。
- 苦しい子ども時代に、現実を離れ、正気を保たせてくれた物語は、日本人のつくり手が書き、描き、アニメにしたものだった。
- 初めて本格的な事業の取引をした相手は、のちに親友になった、資産が10億ドル近い日本人起業家だった。なぜか彼は、僕を尊重してくれた。
- IPNに初めて本気で目を向けてくれた多国籍企業も、日本企業だった。
これまでの人生で、周りが不安定なとき、変わらず、頼れる存在として現れてくれた人たちは、たまたま日本人だった。彼らは鏡だった。自分の弱さを知っていることや、人から弱さを指摘されることと、その弱さが鏡に映るように見えることは、まったく別の世界だ。それまでの人生で懸垂を一度もしたことがなかった人間に、両手の間隔を広く取った懸垂を10回やらせる。自分の姿を映し返されることには、それだけの力がある。
僕にとって、これは抽象的な市場の見立てではない。個人的なことだ。
日本の文化には、テニスが否応なく求めるものの多くが、すでに根づいている。抑制、正確さ、仕事への誇り、長い目で考えること、人前で感情を制御すること、誰も見ていなくても時間どおりに動く仕組み。
アフリカには、むき出しのエネルギーがある。日本には、磨かれた行動の習慣がある。この手紙は、一人の創業者の頭の中にある設計図を書いたものだが、会社そのものは、共につくったものだ。僕が20代半ばだった頃の親友がいなければ、この会社は何かが欠けたままだった。彼がなぜ始めたのかを、僕が語ることはできない。ただ、あの内気で愛国心の強い日本人も、きっといつか自分の理由を話すだろう。規模を広げる段階では、僕らの役割が入れ替わる可能性が高いからだ。その前に、どうか縁起でも担いでおいてほしい。僕が全部ぶち壊さないことが前提の話だから。
IPNは、この二つの現実をつなぐ架け橋としてつくられている。表から見えるのは、こういうものだ。
- アフリカ南部と日本にまたがるサーキット
- その物語を伝えるメディア
- 成績、行動、人々の関心を追うソフトウェア
- 騒ぐことではなく、スタッフの規律ある仕事に報いるKPIの仕組み
その下にある本当の仕事は、大勢の人の心のあり方を変えることだ。
僕らがきちんと仕事をすれば、これからの10年で、何十万人、やがて何百万人もの若者が、この仕組みを通じて次のことを学ぶ。
- 長い間負け続けても、平静でいること
- 恥に押しつぶされず、自分の責任を引き受けること
- 怒りを、破壊ではなく燃料にすること
- 一度の大きな奇跡ではなく、小さな優位を複利のように育てる発想を持つこと
- 努力と時間を、罰ではなく投資として扱うこと
そこまで広がれば、「かっこいいテニスツアー」では終わらない。一つの世代が何を可能だと信じるか、重圧の中でどう行動するかが変わる。IPNだけで大陸を「立て直す」と言っているのではない。はっきり言っているのは、こういうことだ。これを正しくつくり、意図した規模まで育てられれば、大きなものが懸かった場面に対応できる神経系を備えた、大勢の人々が育つ。
プロフィールと公開記録
- イブラヒムがIPIをつくった理由
IPI誕生の経緯アフリカ南部と日本で300人以上をまとめた本人の経験。
- IPN Tennis Tour
ツアー公式サイトIPNの公式サイト。公式Instagramが開きます。
- PCF Annual Hamptons Galaに出席したIbrahim Phiri
Getty Imagesの報道写真記録ニューヨーク州ウォーターミルでの出席を氏名付きで記録。アセット番号2168118994。
- Ibrahim PhiriのLinkedIn
本人の職歴紹介IPN、日本での活動、テニス、事業経験についての本人の紹介。
- Ibrahim PhiriのCrunchbase
人物データベースIPN Tennis TourのCEO兼共同創業者として掲載。
- IPNテニスツアーが日本のビジネスをアフリカ市場へ導く
Sportsmania掲載の発表CEOのIbrahim Phiriと東京訪問の予定を紹介。「イブラヒム・フィリ」の表記を使用。
- IPNテニスツアー、日本企業とのパートナーシップ・プログラムを開始
PR TIMES掲載の発表日本企業のスポンサー募集を発表。CEOを「イブラヒム・ピリ」と紹介。
- テニスを通じてスポーツ外交の未来を切り開く
PR TIMES掲載の発表9月の企業との面談予定と、大阪でのイベント計画を紹介。
- 衰退する日本経済に新たな“大テニス時代”の可能性
PR TIMES掲載の発表初のアフリカ南部サーキットの終了、広告なしで50万回を超えた視聴、日本企業との協議を報告。
- 2024年PCFガラのプログラム
Society Beeのイベント報道ガラでのマイケル・ミルケンとイーロン・マスクの対談を報道。